· 

【我的第二故乡中国:第二章】去深圳前的准备(深セン赴任の準備)

真ん中の「地球の暮らし方」を片手に赴任準備。右の2004年版ガイドは現地に赴任してからもらったものです。
真ん中の「地球の暮らし方」を片手に赴任準備。右の2004年版ガイドは現地に赴任してからもらったものです。

 

 さて赴任に向けて本格的な準備に取り掛かるわけですが、海外などろくに行ったこともないボクでしたので結構大変でした。当時は仕事場でもパソコンがグループに1台しかないレベルの時代だったので調べもんは大変。もちろんまだ紙ベースがメインでGoogle先生に頼れる時代でもなく、唯一Yahoo!が頼りだったような気がします。

 

 自分自身が海外赴任するための準備(ビザ、予防接種、その他金融関連や身の回りのいろいろ)は当然のごとく、中国にはまだ会社自体も存在しないわけですからそのへんの会社設立情報も必要になります。

 

 しかしながら会社初の現地法人設立ということで社内にも情報がなく、あらゆるところから情報を集めまくるしか術がなかったです。その頃の日系企業企業はまだ「生産拠点」としての進出がメインで、中国企業との合弁会社が多かったため独資法人設立は少なかったように思います。中国側は合弁先として積極的に外資を受け入れ、技術やノウハウを蓄積することに躍起で、税制の優遇処置制度などが当たり前で多くの海外企業がなだれ込んできたものでした。

 

当時も「深センってきれいな街やね~」という人も多かったですが、メイン通りから一筋入るとこんな光景が普通でした。(2004年撮影)
当時も「深センってきれいな街やね~」という人も多かったですが、メイン通りから一筋入るとこんな光景が普通でした。(2004年撮影)

 

そして2003年3月の頭に初めての深セン出張。

 

 当時の深センはメインストリート(深南中路)沿いなんかを走っているとかなりきれいなすごい街に見えましたが、筋ひとつはいると別世界(元々の街)の風景が見えるといった感じでした。

 

 「罗湖」という香港との国境でもある駅周辺には物乞いがうじょうじょいて、大きい目のかばんやスーツケースを持って歩いてると毎回引っ張られました。というのも、荷物を運ぶことでお小遣い稼ぎをしたいからなんですけど、慣れないうちはやっぱり気持ち悪かったですね。しかもちょうどその頃は罗湖のコンコースが大工事中で大きな敷地が掘り起こされ、駅周辺がものすごく荒れた状況でその中に貧困層がさまよっている感じでした。タクシー乗り場で並んでても降りるときも必ずといって物乞いが声をかけてくることがお決まりのような環境でしたので。

 

 正味3日間で、①会社の事務所、②自分の住居、③日本語が話せる現地スタッフの面接と採用、という強行スケジュール。悩む余裕などなく、それぞれその日にすべてを”はい、コレでOK!”みたいな感じで決め、帰国後は病院行ったり、役所行ったり、お別れのご挨拶やら送別会で過ごしました。

 

 まだまだエピソードはあるものの、このまま準備の話が長いといつまでたっても中国に赴任できないのでとりあえず準備のお話はこの辺にし、次回以降は赴任後の話の中に織り交ぜていきたいと思います。

 

ということで今日はココまでっ!

※ 下の画像も2004年の深センのボクの生活圏です。

 

 

【お詫び】

赴任早々は仕事以外カメラを持ち歩く癖もなく、ほとんど画像が残ってません・・・。個人的にも痛恨の極みなのですが、代用できそうなものをテキトーに差し込んでいきますのでご了承くださいませ~。

 

 

※ ひとつ前を読む ⇒「我的第二故乡中国:第一章」

 

※ すべての「我的第二故乡中国」はこちらから ⇒「我的第二故乡中国」